思考伝聞

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押忍

渡邊一久先生・・・その2

   「空手をやる者は棒をやれ」とは、昔からよく聞く言葉です。しかし、極真空手の現実において、棒などの武器術に興味を惹かれ、ハマッてしまったら最後、どうしても肝心要の組手のレベルが低くなります。そりゃあそうです。空手の稽古だけで一日に何時間も費やし、合間にやっと時間を作って走って、ウェイトやって、ちょこっと型稽古・・・それでもなかなか勝てないのに、どう考えても武器術をやっている暇などありません。

 よく「大山道場時代は、武器術も稽古していた」などと、雑誌等でまことしやかに言っている人がいますが、完璧に「ウソ」だそうです。私が「渡辺先生は武器術もやっていたのですか?」とお聞きしましたら、渡邊先生曰く「当時は、組手が怖くて出来ない奴や、弱くて相手にならない奴が、道場の隅っこの方で、独自にヌンチャクをたま~に振っていた程度。そんな話誰が言ったの?」と呆れておりました。とにかく今、極真の空手着を着てる人で、大山道場時代の空手をちゃんと知っているのは、渡邊先生しかいない様です。
 余談ですが、「空手」の型の分解は、殆どが「突きや蹴り」だそうで、空手なのですから当たり前だと思いますが、本当の分解を知らない人に限って、合気道でもあるまいし、すぐ逆を取って関節を決めたり、投げたりしたがるそうです。(「続、秘伝極真空手」に載っているからかな・・・)この話は、私も随分前から色々な先生に聞いておりましたし、最近も沖縄でずっと修行されていたY先生にも伺いましたが、びっくりした事に、渡邊先生も大山総裁にそう教えられたと言っておりました。
 要するに、現在一部の方達が行っている「大山道場時代の空手」なるものは、ばれないだろうと思って創作しているデタラメだそうです。

 私は、型の重要性は認識しているつもりですし、もちろん門馬道場でも力を入れています。また、棒などの武器を操ることで、武術的な身体操作を学び、自身の空手にプラスになることは自明の理だとも思っています。しかし、その事に気が付いたのは私が四十歳を過ぎ、度々身体のあちこちの怪我や故障で、思う様に組手稽古が出来ず、かなり悩み焦っていた頃でした。そんな時、太気拳の佐藤嘉道先生を始め、古伝空手、居合いや琉球古武術等にも出会い「今の自分に足りないもの、今の自分を救えるものはこれだ。」との思いに達し、それらを自分の極真空手に加えて稽古をしてきました。もちろん、これらは私の個人的事情であり、道場生に強要すべきものではなく、指導員数名に伝える程度で、選手や一般道場生に教えたことはありません。逆に言えば、指導員にも選手にも、そんな暇があるなら「極真空手」の稽古をしなさいと言ってきました。

 もう一度誤解の無いように言っておきますが、それら武器術の稽古は、空手を極めようとするならば、必要不可欠だと私は考えています。ただ、武器術の稽古をするのは「極真の空手をかなりガッチリやってきた人か、空手の指導に係わる人」でいいと思っています。若いうちは組手をガンガンやって純粋に極真空手に明け暮れ、やがて体力や気力に限界を感じた時に、大きな壁にぶち当たり模索が始まる。その時、近くに「武の道」に導いてくれる人がおり、もし機会があるならば居合いや古武術を学んでみればいい。不幸にも、ガチンコ組手の「強い、弱い」の価値観しか語れない人しか周りにいなければ、その壁を乗り越えられず「武の道」から遠ざかって行くでしょう。いずれにせよ、それらは一つの事をガムシャラにやった先に見えるもの。少なくとも「極真を志した者」は、そうあるべきだと思っております。それが厭なら、最初から伝統派か古武術の道場に入門すれば良いだけの事。
 一番怖いのは、武道、武道と連呼している割に、肝心の組手が全く駄目で、大会に出ても他道場どころか、他流派までにもコロコロ負け「ああいう組手は空手じゃない」と負け惜しみし、他流派の先生や道場生どころか、保護者の方々にまで「極真笑える」と失笑をかう事。渡邊先生も「それは大山館長に失礼だし、極真に対する冒涜だ」と言っておりました。

 幸い私は、素晴らしい先生方との出会いがあり、「実戦喧嘩棒」の稽古等にも個人的にはハマッていますが、門馬道場全体として考えるならば、やはり子供達や一般の選手は、まず組手が強くある事。その中で、大会組手を目指すのであれば、試合に出て勝てる事。当然、勝つ為には厳しく辛い稽古をしなければならず、特に「痛みや恐怖」とも向き合わなければなりません。その稽古の中で、各自が大切なものや足りないものに気付き、それらを守り、克服すべく努力をする。
 今、子供達には武道教育が必要だと言われておりますが、じゃあ、武道なら居合いでも剣道でも古武術でも何でも良いのでしょうか・・・。空手以外の関係各位には申し訳有りませんが、私は武道の中でも、特に極真空手が武道教育には最適だと思っています。それは理屈ではなく、「四の五の言わずにやってみる」極真精神で、子供達が「突きや蹴りの痛みや恐怖」と常に向かい合い、涙を流しながらも、あきらめず克服していく姿を幾度と無く目の前で見てきたからです。大会、審査、合宿、日々の稽古・・・常に付き纏う困難を克服してきたこの子達だったら、本当に信頼される大人になるだろうな・・・と確信が持てるからです。

 今の空手界には、社会常識から逸脱している様な指導者もいます。今回の渡邊先生との三日間で、色々お聞きした話の中にもありましたが、大山総裁は空手を通して、社会に通用するような立派な若者を育てたかったそうです。しかし極真の現状は・・・。もちろん、素晴らしい方々もおり、渡邊先生から感動秘話をたくさんお聞きしましたが、そうではない方の話も聞くにつけ、青春時代から抱いていた極真の伝説が色褪せた感もありました。しかし・・・我が青春の、大山総裁のお話だけは、何一つ色褪せる事はありませんでした。渡邊先生、有難う御座いました。また、機会がありましたら大山総裁直伝の技をお教え下さい。                
                                                        押忍。



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