思考伝聞

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押忍

空手の意義

 
私が空手を始めた40年近く前、空手を習う人の殆どの動機は喧嘩に強くなりたいだった。

今はどうだろう?門馬道場の入門誓約書を見ても、入門動機に喧嘩が強くなりたいというのは皆無である(^^;;

時代が違うので当たり前なのかもしれないが、じゃあどんな動機で入門するのだろう。

健康、ストレス解消、礼節を学ぶ、心身を強くしたい・・・と様々である。

しかしだ、健康やストレス解消で入門しても、ずっとそのままの目的では2年も3年も続かない。

また、礼節を学ぶためでも心身を強くするためでも、それだけの目的で長く続けるのもやはり困難である。

じゃあ空手道場のキャッチコピーは嘘か?
詐欺か?

いやいや、そうではない。最初の目的はそれだけでも良い。でも、やがて目的や目標が変わって行くのだ。イヤ、変わらなければ道場として機能していないと言っても良い。

目的や目標はより高みを目指して、また人としても成長したいという願望なくして長い期間空手を継続するのは無理と言っても過言ではないと思う。

人としての成長・・・この文句は大変漠然としていて、何かの会やクラブの謳い文句みたいで、ある意味怪しい言葉だが、空手道場に当て嵌めて考えれば、要するに万日の稽古を通して強くなるということである。

その強さは腕力や脚力に限らず「暴力に屈せず権利に媚びず金の奴隷にならない」、自分の大切なもの、例えばプライド、家族、愛する人などを守るために人として生きることに大切な強さである。

その強さを修得するためには密度の濃い長い期間の修行が必要なのである。それは、週2回で4時間、月に16時間程度の道場稽古を5年、10年続けたからと言って身につくものではない。月16時間と言っても、それは1ヶ月の内のたった1日にも満たない時間でしかなく、それで自分が変われるほど強くなったら誰も苦労しない。


以前、太氣拳の佐藤嘉道先生にこんな話を聞いたことがある。昔、佐藤先生が澤井先生に「佐藤君、太氣は毎日稽古しないと駄目だよ」と言われたらしい。

しかし、当時教鞭を執っていた佐藤先生は「仕事があるので毎日は無理です」と言ったら、澤井先生は「その気になれば毎日出来る。君にその気がないだけだよ」と言われたそうだ。

佐藤先生は、後でよくよく考えたら澤井先生の言ってる意味がわかったと仰っていた。

稽古は、身体を動かして何時間も集中しなければならないと思っていたが、例えば、朝、顔を洗って鏡を見たついでに「フン」と氣を入れたらそれが太氣の稽古だと気付いたそうだ。
その意識が毎日稽古すると言う事なのだと。


一般社会で日々揉まれ葛藤している私達が、空手道を通して弱い自分を変えたい、人として強くなりたいと思うならば、稽古の時間だけ空手の事を考えるのではなく、日常の中でも常に強くなりたいと思い続けその努力をする。

また、稽古や大会や審査会に行く時間を捻出するために常に生活の段取りを考え、多少の、イヤ、多くの犠牲を払いながら万障繰り合わす。
人として強くなる為には、日常から強くなりたいという意識を持ち続け、それを継続するための努力や、そのことに時間を割く努力がとても大切なのではないだろうか。

少なくとも自分の余暇の時間を上手に使い、大して犠牲も払わず、週に2~3回の稽古に出ただけで人として強くなるのは難しいと思う。それで得た黒帯や立場など、後々の困難な局面に立った時、その黒帯や立場が大きな自信に繋がり困難を打破するほどの財産になるだろうか。

頑張って頑張って、それでも駄目で、辛くて苦しくて、でもそんな時、大切な黒帯を握り締め涙しながら「俺は黒帯だ。あれだけ頑張って来たんだ。絶対あきらめない」、そう思えるほどの困難を乗り越えながら続けてきた空手だからこそ、空手を頑張る価値や意義があると思うが如何だろうか。

「生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うすること」







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