思考伝聞

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押忍

武道教育とは

 

11月3・4日、名古屋の全日本チャンピオンシップと、東京大会と二日連続で大会が行われた。

門馬道場からは、両大会に合わせて約60名の選手が参加し、それぞれが緊張や不安の中、精一杯戦い抜いた。

人が必死に頑張る姿は、誰が見ても素晴らしく、結果はどうであれ賞賛に値する。

しかし、大会は競技であり必ず勝ち負けがある。勝てば官軍、負ければ賊軍…勝負であるからやるからには石にかじりついても勝たなければならない。

綺麗事ではない。相手と刺し違える位の闘志、気迫を持って臨まなければ勝利は掴めない。その為に厳しい稽古をし、その為にあらゆるものを犠牲にして、「乾坤一擲」、その場に立つ。

しかし…
現在の空手道場では、そこまで頑張らなくても、そこまで真剣にならなくても…そう言って習い事感覚で武道に親しむ人が増えている。

「礼儀正しくなれば…身体が強くなれば…気持ちが強くなれば…」


正直、道場では「礼儀」や「礼節」をことさら声を大にして教えている訳ではない。道場での作法や所作から各人が身に付けていくものである。
そして、その礼儀・礼節が相手を敬う思い遣りによるものなのか、単なる形式なのかは、その人の修行の度合いで変わる。
身体が強くなるかどうかも同じで、ただ道場に来たから強くなる訳ではなく、そこで自分がどれだけ真剣に取り組んでいるかに尽きる。体育的に身体を動かしたいなら、陸上でも野球でも同じである。

道場の入門動機でよく聞くのが、気持ちを強くしたい…それなら空手の稽古は最適ではないかと思う。
痛い、怖い、苦しい…まして、試合に臨む恐怖感、緊張感は半端ない。「心」が強くなる事請け合い(^^)

ただし、暑い、寒い、疲れた、勉強があるから、用事があるから…そう言って、稽古を度々休んでる者の「心」が強くなる道理はない。

だからと言って、習い事感覚で道場に来るのが駄目と言っている訳ではない。違う分野で空手に勝るとも劣らない位頑張っている人も勿論いる。

要するに、子供の頃から甘えさせ、世の中ホドホドに頑張ればホドホドになれるなんて、世の中を舐めた子供になるのは親の責任だと言う事は認識しなけれはならない。

頑張っても頑張っても、思い通りにいかないのが人生である。大して努力もしないで、礼節が良くなったり、身体や心が強くなったりする筈が無いって事を親も子も自覚するべきである。

空手は武道、勝つ事だけが全てではない。負けた事によって色々な気付きがある。負けた原因を反省し、負けた相手に追いつこうと更に努力し、教えてくれる先生、先輩、後輩、両親…そういう周りの方々に感謝し、そんな人達を心から敬う・感謝の心が育つ…勝つ事より、そういう事の方が大切であり、将来社会に出て役に立つ。社会に出て通用しない空手なら何の意味も成さない。

しかし、それは勝つ為・目標を叶える為に最大限の努力をした人のみが言える言葉、掴んだ真実であって、努力もせずにホドホドにしか取り組まない人の逃げ口上になったのでは、武道教育に未来などない。

習う側、教える側、何れにしても一緒に一体感を持って取り組まない事には武道教育などは絵空事でしかない。勝負には拘るが、勝負が全てではなく、もっと大事なものが道場にある事は間違いないのだから(^^)

空手の道場は武道教育をする場所であると言っても過言ではない。誰が何と言おうと、そういう謳い文句で生徒を集めている道場が殆どある。ならば、もっと真剣に道場の役割・意義を考え、取り組んでいかなければならないなと、大会を振りかえって強く思った次第である(^^;;

それには…
せめて、道場の師範・先生達も実社会で通用し得るレベルに達してから、空手を教えて欲しいけど…(^^;;








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