思考伝聞

スポンサー広告

スポンサーサイト

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



*Edit   

押忍

想い・・・

   私は、高校1年の16歳から空手を始め、最初の師は飛田健先生でした。飛田先生には空手はもちろん人としての生き様を教えて頂きました。高校を卒業した18歳の時、どうしても極真に入門したいと飛田先生に話すと、飛田先生は快く許可して下さり、それからの数年間は極真と飛田道場、双方の道場に通い空手に没頭しました。しかし、私が25歳の時に飛田先生は肝臓癌で帰らぬ人になりました。親父を亡くした様な深い悲しみに、泣いて泣いて泣き尽したのを覚えています。
 その深い悲しみから徐々に心は空手から離れ、極真の有名師範や元極真の伝説とさえ言われる方々との合宿参加、道場への出稽古等々、何とか心は空手に繋ぎ止めておきましたが、27歳で独立して今の会社を創設した2年後の29歳の時、忙しさも手伝ってか私の生活から空手はスッポリと抜けました。毎日が仕事に追われ忙しかったけれど、それなりに充実した日々でした。

 大山総裁が御逝去された2年後、34歳の時、悩んだ末に昔の極真の道場に復帰し約8年間、そこの道場のために身を粉にして働いた事は誰も否定はしないと思います。お蔭で私も随分色んな所に同行させて頂き、講習会等を開催させて頂いた経験に関しては、今でも感謝しております。
 当時、私が所属する道場も小野寺道場も「東日本連合」として連合会に所属していた訳ですが、平成16年2月7日、私はそこの道場から独立を認めて頂き、晴れて門馬道場として一本立ちしました。(もちろん、支払った独立認可料の領収書も小野寺師範立会人の誓約書もあります。)ホテルでお披露目のパーティも行い、総裁時代の3人の師範方からオレンジのブレザーも着させて頂きました。
 順風満帆な筈でした。そんなある日、ある理由から私の前所属道場が東日本連合を脱退してしまいました。残っている私も色んな声に随分悩みました。辞めるべきか残るべきか・・・結果、私は残る選択をしました。それは、どうしても人として空手家として、そこに目をつぶったままやり通す訳には行かない様々な想いから決断した事です。
 その判断は今でも正解だったと思います。その後、私は小野寺師範と東日本連合として行動を共にしました。小野寺師範が唯一尊敬する大石代悟師範との交流も盛んになり、加えて独自の活動をしているある派閥の師範方とも大会等を通じて一緒に活動するようになりました。

 しかし、ある事件を境にまたしても事態は急変します。小野寺師範が平成17年5月から14ヶ月間勾留(結果は無罪)されてしまいました。これを機に、連合の師範方や小野寺師範を取り巻く様々な方々が蜘蛛の子を散らすように居なくなりました。小野寺師範の名前はどこにもなくなりました。小野寺道場を乗っ取ろうとする人までいました。平成17年9月、私は小野寺師範のいない不安の中で「第一回全福島空手道選手権」を開催しました。

 平成18年6月、大山智弥子夫人の葬儀で三女の方とお会いし、「昔の支部長はみんな酷い。協力して欲しい。」と言われました。私は、小野寺師範がまだ勾留されているので、小野寺師範と話してから返答すると言う事で、判決が出て帰って来たその年の9月まで待って貰いました。一連の経過を小野寺師範に話すと大反対されましたが、最終的には小野寺師範の「俺の弟子のままという条件なら仕方ないだろう。言いだしたらお前は聞かないからな。」と呆れながらも許して下さいました。そして小野寺師範はそこの組織の相談役となりました。
 ここでも平成21年1月までの約2年と少しの期間、自分なりには精一杯頑張ったと思います。一緒に活動していた鈴木先生や釘嶋師範、その他の仲間もそれは否定しないと思います。でも、これ以上は無理でした。私は自主退会をしました。詳細はここでは書きませんが、機会が来たら明らかになるでしょう。

 「結局駄目だったろう」と、大石師範や小野寺師範に半分呆れられながら笑われ、俺達と一緒にちゃんとした極真空手を普及発展させようと、お二方と話していた矢先の平成21年5月17日、小野寺師範は心筋梗塞で突然逝ってしまいました。25年前にも勝るとも劣らぬ深い悲しみ。亡くなった報告を受けた瞬間から記憶が飛んでありません。次の日、急いで岩手に飛んで行って、最後の日まで居ましたがずっと泣きっぱなしでした。このご葬儀に参列してくれた師範は大石師範だけでした。小野寺師範は亡くなる数週間前にも仰っておりました。「極真で尊敬できる師範は大石師範だけだ。俺は大石師範と一緒に残りの空手人生を全うする。」

 ご葬儀の帰り、大石師範を一関駅までお送りした時、「門馬には私が付いているから安心して極真空手を続けなさい。」と仰って頂きました。身に余る光栄でした。
 この時、私は平成21年4月の昇段審査で小野寺師範に五段位を允許されておりましたが、ある事が原因で少し柄にもなくイジケていたので、昇段状の写真を小野寺師範に何度も催促されていたにも関わらず送りませんでした。ですから小野寺師範の生前には昇段状は頂けませんでした。(後日、奥様から送付されてきました。)

 そんなある日、大石師範と稽古していた時、私が五段の帯をしていなかった事を大石師範に叱られました。「何故、五段の帯を締めない?小野寺には色んな想いがあって門馬に五段を受けさせたのだから、その気持ちをわかってやらなきゃ駄目だぞ。」と言われました。
 その時私は、釈然としない態度だったと思います。そんな私の気持ちを察してか、ある日大石師範から昇段状と五段の帯が送られてきました。もちろんお金など払っていません。私は大石師範の心遣いが嬉しくて涙ながらにお礼の電話をさせて頂き、昇段状の日付を小野寺師範の命日の5月17日にして頂きました。
 
 詳細は書きませんがこれが一連の騒動の経緯です。大石師範が私に五段を勝手に認可した訳ではありません。大石師範の何が間違っているのか、私には理解出来ません。


 私が門馬道場として独立して、既に8年経ちました。しかし、今でもある方々から誹謗中傷を受けています。面白い事に、連合の通達文のコピーが郡山の複数の道場のポストに入っていた様です。妬む側より妬まれる側の方が良いと思いますので、特に気にもしませんが、嘘や作り話で落とし入れられるのはあまり気分の良いものではありません。いずれ、イヤ、近い将来、何らかの形で証明しなければならない時が来るでしょう。

 今は、信ずる正しい道をただひたすら歩くのみ。



*Edit   
  • naviL-3.gif
  • naviR-3.gif
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。