思考伝聞

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押忍

頑張ることを、あきらめない心

   矢吹の本部道場では、毎週月曜日は少年部終了後、8時から中学生と女子部が中心のクラスがある。このクラスは私が指導するのだが、どうも中学生になると少年部の頃と違い、一所懸命気合いを入れたり必死に頑張る事が恥ずかしく感じるという子もいて、結構難しい年頃でもある。
 
 加えて、部活動によっては毎日遅くまでみっちりしごかれて、道場に来る頃にはクタクタになって力も入らないし、空手に集中出来ない子がいるのもある程度は仕方ない、それでも辞めないで続ける事が大事だし、空手に来ている事はそれなりの意味があるんだろうし・・・そう思って多少黙認してきた部分もあった。もちろん女子部、一般部も仕事で疲れて・・・と同じ様な事情で容認している部分もあった。

 
 しかし・・・
 
 先日の稽古も、中学生や女子部合わせて10名程で稽古をしていた。基本から移動稽古をこなしていくが、やはりいつものようにいまいち気合いが足りないし、とにかく「押忍」の返事も小さい。「ほら、返事。気合い入れて」と何度も促すが、なかなか気持ちが前に出て来ている感じがない。いつもの様に「仕事や部活で疲れているんだろうな・・・」と、私自身心のどっかで諦めていたのかもしれない。稽古だけは淡々と進んでいた。
 
 稽古も半ばを過ぎ、ミット稽古に入る頃中学一年のタカトが遅れて入って来た。タカトは陸上部で長距離が凄い事から駅伝の選抜選手にも選ばれ、部活終了後、駅伝の練習をしてから空手の稽古に来る頑張り屋である。グローブを付けミット打ちの相手は私がしたが、タカトは精一杯気合い入れて、精一杯必死で突いて・・・でも、他の生徒は明らかに力をセーブしているし気合いも入っていない。必死で動いているタカトの頑張りを見て私の中で何かが弾けた。「やっぱり違う。どんな理由があれ、頑張らない事を容認しちゃ駄目なんだ。そんなの道場じゃない。」・・・そう思った瞬間、持っていたストップウォッチを床に叩きつけたい衝動に駆られた。それは、みんなが必死にやらないって事より、頑張らなくても仕方ないって思っていた自分に腹が立ったからである。稽古を中断して皆に話をした。「全力でやらないで8割の力で稽古をする。でも本番は全力を出しますって言うのは無理なんだ。その8割の力がお前達の全力になってしまうんだよ。頑張る事がイヤな人はこのクラスに来るな。今日は型でもやっていろ。」と一喝し、稽古時間を20分程残して私は指導を放棄した。空手を教えて、もう延べ25年近くになるが指導を途中で辞めたのは初めてである。その場で我が子が叱られている風景を目の当たりにしている保護者の方々も泣いていた・・・。


 私も・・・道場に行きたくない、稽古したくない・・・そう思った事は何十回、イヤ、何百回もある。しかし、一旦道場に行ってしまえば必死で頑張ったし、必死で頑張らなければ極真の稽古にはついていけなかった。だからこそ今の生活があると思う。仕事でも一般社会生活においても必死で頑張る事が当たり前だと思うし、頑張れる限界点は普通の人より高いと思う。だから空手を辞めないで続けてきて良かったと思っている訳で、私は門馬道場でそこをみんなに伝えたかったのではないか・・・一体今まで何て甘い事を考えていたんだろう・・・そう思うと情けなくなってきた。


 次の日、泣いていた保護者の方々みんなに電話した。一様に「有難う御座いました。もう来るなって言われたから、行かないなんて言うかなと思ったら、「師範に怒られたのはショックだけど、師範が全力で教えているのに、私達は手を抜いていた」って反省しています。真剣に頑張るって言ってるんで今後とも宜しくお願いします。」って言って頂いた。嬉しかった。


 頑張ることをあきらめない事・・・それが道場である。



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