思考伝聞

スポンサー広告

スポンサーサイト

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



*Edit   

押忍

小野寺師範の一周忌

   5月17日は小野寺師範の命日。この日、奥様に電話を入れ、お墓参りの日程調整をし、29日に岩手県一関インターで奥様と待ち合わせして小野寺師範の眠るお墓に向かう。昔、小野寺師範より頂いていた色紙にある言葉は「常在戦場」。この言葉を思い出しながらお線香をあげ、手を合わせながら更なる奮起を誓う。
 お墓参りが済んだ後は、奥様に温泉に連れて行って頂く。小野寺師範が大好きだった温泉・・・そこで、昼食を食べ、暫しボーッとしながら、小野寺師範の思い出に浸る。

 岩手県・・・そこは私の空手修行の原点回帰をさせてくれる場所。大会、講習会、昇段審査会・・・年に何度か、この地で空手の素晴らしさや空手を出来る喜び等を再認識させて頂いた。小野寺師範の号令の下、基本や型を延々と行う。小野寺師範曰く、「トモ、お前基本稽古好きか?」「押忍。本当はあまり好きではありませんが・・・押忍。」と答えると「俺はな、基本稽古が大好きだ。なんちゅうかこの一体感と言うかな、みんなで気合いを入れながら、心一つみたいなのが最高に良いのよ。だからな、年取って、基本も満足にやらなくなる先生の気がしれない。」と常々仰っていた言葉を、今も胸にしっかりと刻んでいる。また、前々回のブログで昇段審査の事を書いたが、5年程前の昇段審査の時、小野寺師範はこう仰った。「黒帯自体に価値はない。黒帯の価値は締める人間によって決まるんだ。」と・・・しかし・・・。

 私は、極真の黒帯を誇りに思う。が・・・正直、段位にはあまり興味がない。まして分裂してしまった今、其々の団体が違う価値観で昇段している以上、段位など何の目安にもならない。総裁時代は、支部長でさえ三段の方が沢山いたのに、今は三段なんて掃いて捨てる程いる。私自身、十数年前、当時の師範に三段を允許された時はこんな俺が・・・と思い、暫く三段の帯は締めなかった。もちろん、そんな事は師範に対し失礼にあたる事は百も承知、頂いた以上は納得して締めなければと、当時、千葉のT道場の奥田師範代の道場で大変厳しい昇段審査を受けさせて頂いた。なので、三段までは取り合えず自分自身で、ある程度は納得し帯を締めていた。
 しかし、それから5年後、またも四段昇段の話があった。団体の中での序列や立場等、様々な理由から、合宿で昇段審査を受けさせられ、納得出来ないままイヤでも昇段せざるを得なかった。が・・・私は金筋4本の帯を拒み、自分の好きな「武」と「極真空手道」と言う文字刺繍を入れた黒帯を作り、それを締めていた為、小野寺師範を始め、色々な師範方から叱られたが、金筋4本の帯を締める事は殆どなかった。

 極真の昇段は組手が全ての感があり、肉体的に相当ダメージも残る。私も遥か昔であるが、初段の連続組手(多分10人以上対戦した)が身体のダメージ的には一番きつかった様に思う。二段の時は昇段合宿の審査会で20人連続組手はやらなかったため、自分の道場で20人組手を行ったが、全員弟子のため、結構ガチンコで来てくれ、やはり相応のダメージを受けた。三段の時は前述の様に、千葉で丸一日審査されたが、最後の連続組手の肉体的ダメージよりも、延々と続く、基本・移動・型・体力の方が精神的に最もキツかった。それらの連続組手経験は確かに「これぞ極真」的な満足度はある。だが、組手さえ済ませれば、組手さえ強ければそれで良いのだろうか・・・この三段の昇段審査は組手より基本から型の繰り返しの方が遥かに苦しかったのに・・・。
 
 そんな疑問の四段昇段から更に5年が経った昨年、小野寺師範からまたも「トモ、五段の審査を受けろ。ちゃんと準備しておけよ。」と言われた。「押忍?自分はまだまだ早いです。無理です。」と、暫くは頑なに辞退していたが、極真の世界に「無理です」は無く、言われるがままに昇段審査を受け、最終的に4月の審査で五段と相成ったが・・・正直内心は複雑で面白くなく、やってられないという思いが沸き、小野寺師範に対して明らかに無礼な態度をとってしまった。審査前には一応連続組手も行っていたが、ハッキリ言えば50人スパーリングである。もちろん暗黙の了解と言ったところだろうし、ガチンコで来られたら持つ筈もないが、しかし・・・昔見た50人組手は、対戦相手にボコボコに打たれるため、細胞が壊死し、それが血管から肝臓に流れ、詰まって肝機能が機能せず、何日間か入院する様になるらしい。ちょっと前に、100人組手達成者のM師範と食事をご一緒させて頂いた折、当時の話をお聞きしたが、それは身震いするほど凄まじい内容であった。それに比べ、とりあえずの儀式みたいな連続組手に、私はあまり意味を感じなかったし、何か高段位になるのは現役から遠ざかる様で恥ずかしいと感じていた事から、小野寺師範から「すぐに昇段状に貼る写真を送れ」と言われたが、小野寺師範への小さな抵抗から写真はずっと送らなかった。
 丁度その頃、大石師範と稽古をさせて頂いた折、大石師範より「師範は五段じゃないと駄目だ。審査を受け認めて貰ったのだから自信を持って締めなさい。小野寺だってな・・・」と、小野寺師範の気持ちを諭され、そればかりか、後日、大石師範より日付なしの五段の昇段状と帯まで頂いた。しかし、それでもなかなか踏ん切りがつかず、やはり五段の帯を締めないでいたものだから、その後、大石師範と稽古した時に「駄目ですよ・・・」と苦笑いされた。
 そんなモヤモヤした気持ちのまま時が過ぎていたある日、突然小野寺師範が亡くなられた。悲しみに沈む中で葬儀を済ませ落ち着いた頃、小野寺師範の奥様から「門馬師範の五段の昇段状に貼る写真が来ないって、うちの師範はずっと待ってたのよ。」と言われた。その時・・・審査から既に二ヶ月近く経ち、何度かお会いしていたにも係わらず、私に何も言わなかった小野寺師範の様々な想いが、何故か胸に去来し、何かが吹っ切れて涙が溢れた。小野寺師範の遺志を継いで五段の帯を締めよう・・・昇段状を頂こう・・・私は帰ってすぐに写真を奥様に送った。後日届いた小野寺師範からの昇段状の日付は4月5日だった。そしてもう一枚、大石師範から頂いた日付のない昇段状は、大石師範にお願いして昇段日を小野寺師範の命日の5月17日にして頂いた。と、言うことで私の五段の昇段状は二枚ある。どちらも私の大切な宝物である。

 小野寺師範の教え・・・それは、高段位になればなる程、空手全般に対し総合的に取り組み、一般社会生活にその成果を活かす姿勢が重要なのではないかと思う。だからこそ小野寺師範が仰った、「黒帯自体に価値はない。黒帯の価値は締める人間によって決まる。」の言葉は、段位に恥じない様に稽古し精神修養を怠らず、そして黒帯としての覚悟を持つ事、すなわち「立場」が人を育てると言う教えでもある。

 そんな事をわかっているようでわかっていなかった私は、小野寺師範が亡くなられる2週間程前までは、ささやかな抵抗でイジケて電話もしないでいた。そんな時・・・ひょっこり小野寺師範が菅原師範代と二人で福島の矢吹町に現れた。先の昇段の件もあり、イジケているのを知っている筈の小野寺師範が「お前の顔を見に来たんだよ。」と、屈託なく笑うものだから、ビックリしたのと、イジケていた自分が照れ臭いのとで、顔が引き攣っていた筈だが、お蔭で私のイジケ心もさっぱり晴れた。普段、小野寺師範が私の所に来る時は「顔見に行くから、宿頼むぞ。」と前もって連絡をくれたのだが、予告なしで来たのはこの時が初めてである。そして・・・この時が小野寺師範に会った最後である。きっと、何かが引き寄せた様な気がしてならない。
 その後、亡くなられるまでの2週間、小野寺師範は死期を知っていたかのように、大石師範を始め、色々な方に「トモを宜しく頼みますよ」と電話で話していた事をことある度に色々な人からお聞きし、その度に何度も何度も涙が溢れた。
 小野寺師範と会えなくなってからもう一年・・・早いものである。私は今、堂々と五段の帯を締め、あまり好きではない基本だが、生涯続けながら修行を重ね、段位に相応しい人間にならなくてはならないと思う。小野寺師範の遺志を継いで・・・。

 でも・・・思い出に浸るより、また一緒に稽古したい・・・会いたいな・・・。



*Edit   
  • naviL-3.gif
  • naviR-3.gif
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。