思考伝聞

スポンサー広告

スポンサーサイト

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



*Edit   

押忍

近況・・・その3 全日本少年少女

   6月26日の金曜日、大阪で開催される「全日本少年少女空手道選手権大会」に祐伍が出場するため、いつもの様に「菜穂、奈美」コンビと福島空港から朝一番の飛行機で大阪へ出発。とは言っても、肝心の祐伍は学校を休みたくないとの事で、金曜の夜にナント、家族と共にキャンピングカーで大阪へ・・・。
 
 伊丹空港には京都の小黒社長が迎えに来てくれていた。久し振りの再会であるが、向った先は京都の天龍寺。そこで精進料理を食べ、しばし京都観光してから再び大阪へ戻り、祐伍の応援旗を掲げる為に大阪府立体育館へ。そこでたまたま応援旗の許可を貰おうと声を掛けた方が関西総本部のY師範代であったのだが、何から何まで気を遣って頂き恐縮してしまった。とても良い方で本当に有難かった。
 大阪府立体育館を出てからは・・・言うまでも無く、小黒社長の案内で大阪の夜を満喫する。

 大会当日・・・祐伍のアップに付き合い、やがて開会式が始まったが・・・正直愕然とした。「若獅子の歌」に乗り、試合場に入場した選手達の一部ではあるが、不動立ちで立っていない。所謂学校で言うところの「休め」の姿勢である。おまけに腰に片手を置き、残る片手は前髪をなぞりながら下を向いたままだ。そういう選手が何名もいる。これで「礼に始まり礼に終わる」の武道精神を試合において保てるのか・・・。案の定、試合場においても立礼さえ出来ていないし、雄叫びはするわ、最後の握手では目も合わせず、そそくさと退場する。これが極真か・・・大山総裁がもし会場の何処かで見ていたら激怒するだろうと思いながら見ていた。
 
 祐伍の試合は・・・上段・中段・下段の多彩な足技で、決定的とまでは言えないまでも有効打を放った戦いぶりは、私から見れば本戦は7:3で祐伍の優勢と思われたが、審判の旗は一本しか上がらない。後半10秒位は相手の突きで押された様に見られたか・・・。延長戦・・・9:1で祐伍の完敗。スタミナも去ることながら、勝負への執念の差・・・良い勉強になった。その後相手の後藤選手はどんどん勝ち上がり準優勝であったが、最後まであきらめる事無く戦い続けるその姿勢は称賛に値する。
 祐伍は祐伍でよく頑張った。戦い終わった祐伍の涙は、確実な成長を裏付けるものであり、尊い涙である事は誰もが確信している。その証拠に、今までも数々の大会で苦汁を舐めてきた祐伍ではあるが、同じ相手に続けて二度負けた事は無い。私は、また成長するであろう祐伍の戦い終えた姿を見て、本当に大阪に来て良かったと思った。

 日曜日はワールドカップがあったが、飛行機の都合もあった為に、私たちは途中で大阪府立体育館を後にしたが・・・海外選手の多彩な「技」に比べて、日本人は「ワンツーロー」で押し切る組手。これは少年部も一般部も同じである。確かに「極真カラテは勝負偏重主義」であり、勝てば官軍とばかりに何を言っても許されるし、周りの評価も一時的には上がる。一方、負ければ賊軍で、負けた方は何を言っても言い訳になり、周りの評価も一時的には下がる。しかし・・・総裁時代の先生方も口を揃えて仰っているが、「稽古」を知らない指導者が増えているそうである。私は道場で生徒に言った事があるが、「今のお前達がそこそこ組手が出来るのは、基本や移動や型の「稽古」のお蔭ではなく、ミット、スパー、ウェイトの「練習」をしているからだ。」と・・・身も蓋もない言い方だが、残念ながら事実である。極真カラテを長年やっている人なら誰でも気付いている様に、20代や30代で基本や移動、ましてや型など本気になってやっている人で、組手が強い人など見た事がない。あの競技ルールで勝つにはそんな「稽古」よりもっと効率が良い「練習」を選ぶだろう。何故なら、一般道場生の多くはそれなりの責任を抱えた中小企業のサラリーマンが殆どであり、時間の無い中残業の合間を縫ってやっとこさ道場に通うのが実情である。基本、移動、型なんぞの「稽古」は適当に流して、ビッグミットでワンツーローの「練習」をしなければ試合では勝てないからである。もちろんそれを否定する気はさらさら無い。安全に(実際は結構怪我も多いが・・・)組手が出来、そこそこ強くなれるのが「極真カラテ」の魅力でもあるからだ。だから選手や一般道場生はそれでも良いと思う。
だが・・・指導者になってもそれで良いのか・・・そして少年部はどうだろう。少なくとも門馬道場は「武道教育」としての側面から子供を道場に預けている親御さんが断然多い。そして指導する側も「武道としての空手」を伝えようとの思いが強い。だから「練習」しか知らない人が「稽古」と称して基本や型を教えるのは強く戒めているし、逆に「稽古」のみで自ら試合で勝つ努力の「自主トレ」をしない人に指導をさせる事もない。今、明らかに基本や型は海外の方が上手いし、稽古に時間を割いている様だ。日本は・・・試合で勝てさえすれば「でたらめ」な基本や型でも良いのか・・・基本や型が上手ければ試合で勝てなくても良いのか・・・大山総裁が常に仰っていた「地に沿った基本、理に叶った型、華麗なる組手」を今後具現化するのは、もしかすると海外なのか・・・。

 「文」だけあっても完全ではない。「武」だけあっても完全ではない。「文武両道」であるし、それが極真空手の本分であり、人に指導する場合の最低限のマナーであると思う。
門馬道場は、最低週4回の「稽古」に出席出来ない人は指導員には任命しない。勝敗を別にすれば、組手なんぞは誰でも週1回の稽古でそこそこ形にはなるが、武道の極意とは反復に反復を重ね、継続して汗を流さなければ、その何たるかがわからないものである。どんな凄い選手でも、どんなに優れた指導者でも、10年ブランクがあればただの人である。「武道の修行は断崖をよじ登るが如し。休む事無く精進せよ」であり、週1~2回しか稽古しない人に「極真空手」の指導が出来る訳が無い。
 世の極真カラテの指導者は、一般社会に適応出来ていない人が多いが、「勝てば官軍、負くれば賊軍」である。やはり試合は出る以上勝たねばならない。武道の修行過程では「体・技・心」の順番で会得するのはやむを得ないかもしれないが、最も大事なのは「心」であるから、門馬道場は「心・技・体」と行きたいものである。



*Edit   
  • naviL-3.gif
  • naviR-3.gif
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。