思考伝聞

スポンサー広告

スポンサーサイト

 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



*Edit   

押忍

近況・・・その2 審査会に思う

   6月21日には、郡山カルチャーパークアリーナで審査会が行われた。基本、移動、型はもとより、柔軟性や基礎体力、逆立ち歩行等が審査項目にあり、ある一定レベルに達しないと昇級は出来ないが、特になんと言っても極真は自由組手が命である。逆に言えば、昔は他が駄目でも組手さえ強ければ昇級出来る事もあったくらいだ。しかし、最近はこの自由組手がイヤで辞めて行く人も多く、悩みの種でもある。
 
 私が極真に入門した30年近く前は、100%例外なく、稽古中の組手で先輩達に「ボコボコ」にされた。「参りました」を二回言わないと攻撃を止めて貰えなかった。しかし、今は・・・子供や女性、そして壮年の方等が道場生の大半を占めてきた事や、空手を習う目的が多様化している事(昔は空手を習う目的は強くなりたいと言う理由以外聞いた事が無い)もあり、昔みたいに普段の稽古で誰でもかれでも「ボコボコ」には出来ない。従って一般稽古は軽めの限定スパーで終わり、組手は稽古終了後に行ったりしているが、これも全員が居残りする訳ではなく、一般稽古で「いい汗」を掻いて帰る人達も当然いる。すると・・・極真であっても、あまり組手慣れしていない人も出てきたりするが、前述の様に時代が変わり、空手で強くなる目的以外にも習う価値がでてきたと言う事は、それはそれで素晴らしい事ではある。だが、そこは極真・・・どうしても組手を避けられない時がある。それが昇級審査会だ。審査会は「スパーリング」ではなく「自由組手」であるからみんな本気モード、相手によっては当然「ボコボコ」にされる場合もある。組手慣れしていない人はここで脱落・・・辞めて行く人もいる。かと言って、普段の稽古で「ボコボコ」でも当然辞めて行く。これは大人も子供も同じ。じゃあ、普段から「丁度いい按排」に稽古して、審査の組手も「丁度いい按排」にすれば良いのかと言うとそうでもない。人は我儘なもので、平坦な道では退屈で面白みがない。緩やかな上り坂でもいつかマンネリで飽きてしまう。道場生全員に「武道の修行は断崖をよじ登るが如し」の覚悟までは求めないが、最低でも「山あり谷あり」位の試練は必要ではないだろうか・・・その試練を乗り越える度に自分が成長出来るし、それが人生を充実させるコツだとも思うのだが・・・。

 簡単に乗り越えられる壁は試練ではない。決して乗り越えられない壁では夢が見えない。山が有って谷が有るから景色が変わって希望も生まれる。あきらめなければ必ず夢は叶うものだと実感出来る。
 極真空手の道場に入門した目的は確かに様々だろうが、最低でもその試練を乗り越える努力はするべきである。確かに「生きる」と言う事自体が試練であり、日常生活での試練は生活にも係わってくる分深刻であるから、人生において試練はなるべく無いほうがいい。しかし、「生きる」上で必ず直面するであろう様々な試練を乗り越える「強い心と身体」が欲しくて道場に入門したのなら、なかなか日常生活では体験できない試練を自ら進んで積み重ね、「試練への免疫」を作るべきである。道場稽古や昇級審査での試練なんてその時その場で終わるし知れたものである。それでもその繰り返しが修行であるし、その繰り返しが無ければ所詮「強い心と身体」なんてものは手に入らない。
 
 「試練への免疫」・・・それが「根性」であり「あきらめない心」である。それらを求めるのが道場へ入門する目的であるだろうし、そして、それらを身を以って示す事が道場の役割であると思う。習う側も教える側も、よく整理して考えなければならない。真の極真精神を普及発展させるために・・・。



*Edit   
  • naviL-3.gif
  • naviR-3.gif
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。