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2012年11月

        
category - 押忍

想い・・・最終・・・かな?

2012/ 11/ 21
                 
 私は設計会社を経営しているので昼間はもちろん設計の仕事をしている。だから、この日記も忙しくて書く暇もなく、どうしても月記になってしまう。ただ、この数日間、例の騒動で説明しなければならない状況に追い込まれ、かろうじてブログの更新をしている。
 出来れば、こんな気分の悪いブログはもう書きたくないので、これで最後になれば良いと思っている。でも、また色んな事があって書かざるを得ない事になるのかな・・・。


 「連合会」のホームページに、私こと門馬が何故か重罪人の様に書いてある。少なくとも、私は一般社会で信用が無くなれば生きていけない立場にいる。逆に言えば信用を築いて来れたからこそ今の自分がある。誰かの思惑で信用を失い、そこまで落とされるのは私にとっては死活問題である。振りかかる火の粉は全力で払わなくてはならないしその覚悟もあるが、今の時点では突然の事でもあるし、あまりにも「連合会」の対応が酷過ぎて辟易している。

 そもそも、私が前組織を退会したのがH21年1月。もう組織に入るのが嫌で、「極真」の看板を下ろそうとしていた時、大石師範の有難いお言葉や、様々なアドバイスを頂き、結局、大石道場の友好道場に加え、連合会の協力道場としても活動する事になり、少額ではあるが年会費も支払い、以下の様に承認されている。(もちろん加盟承認通知書もある)

  1.団体名称・・・「国際空手道連盟 極真会館 福島県本部 門馬道場」
  2.代表者・・・・「門馬智幸」

 また、協力団体条件として、
  
   「お互いを理解し、試合を通して協力し合える団体」
   「お互いの公認大会では、審判を行うことはできません。」

 と、なっている。しかし、各大会で審判が足りないからと、審判協力の要請が毎回大会ごとに多々あり、最初の頃は「公認審判員じゃなくても大丈夫なのですか?」と聞いていたが、「公認審判員は数が少ないから大会が成り立たない。手伝って頂きたい。」と言う話になり、それが段々通例化し、どこの地方大会も公認審判員以外でも協力して頂き大会を運営していた。


 ところが今年2月の神戸大会で、大会当日の朝、突然ある人から、「公認審判員以外は使うな」とクレームが入った。既に審判表が出来ているし、主催者は突然の話に戸惑ったようであったが、「今更仕方ないから予定通り審判して下さい。」と言う事になり、手伝いに行った私達数名は滞りなく審判協力をしてきた。

 この件以来、何かと審判の事が話題となり、一時期、私達も審判協力はすれば良いのか、しない方が良いのかわからなくなり、4月の大石道場の大会も間近に控えており審判協力要請が来ていた事もあって、仕方なく連合会の理事長に直接電話した。「連合の決まりだからというのであれば当然公認審判員制度は理解出来ます。審判をやるなと言われれば当然やりません。ただ、審判協力をお願いされて断るのも申し訳ないので基準を明確にして下さい。」と、言ったら、「とりあえず、型の公認審判員制度はないので全日本の型大会の審判は大丈夫ですが、東日本大会の組手審判は辞退して貰えますか?ただ協力団体なので講習会を受けて貰うなど、今後の対応はよく考えてからご連絡します。」と言われたのだが・・・それっきり返答はなかった。

 結局、4月の大会では型のみの審判で組手の審判はやらなかったが、この時、会場では理事長がわざわざ私を捜し、「ごたごたに巻き込んでしまってすいません」と謝ってくれた。以前名古屋での懇親会の席では、理事長から「門馬道場も連合に正式加盟して一緒にやりませんか?」と言って頂いたが、連合の印象や小野寺師範に対する仕打ち等を話すと理事長も頷きながら聞いてくれ、「だからこそ皆で力を合わせて中から改革が必要なんですがね・・・」と言って頂いたが、丁寧にご辞退申し上げた経緯もあり、理事長に対しては全く悪い印象はなかった。

 その後、5月の名古屋の大会等は審判をやらずに選手協力だけのつもりで伺ったのだが、結局審判をやる事になり、その時連合の理事の方達も大勢いたけれど何も言われなかったので、「地方大会は大丈夫なのかな・・・」くらいにしか考えていなかった。

 なにかこの頃から、やけに公認審判、公認審判と色めき立ち、突然大石師範に「通告書」が来たのである。そこにはバッチリと私の名前が・・・。一体何で?と訳もわからなかったが、でも大石師範にご迷惑をお掛けしたことを謝らねばと思い、「私のためにすみません」と言うと、「門馬のせいじゃないですよ。」と仰って下さった。しかし、公認審判の件から始まった筈のこの騒動は、いつしか商標問題や私の段位の話まで発展し、あれよ、あれよと言う間に、大石師範の追い出し工作に拍車がかかった。

 たまりかねた私は、大阪のグラチャン会場である方に、今回の経緯について詰め寄った所、「あなたには関係ない」と一蹴され、間に入ってくれたある方には1時間半かけて経緯の詳細を話し、「門馬先生は何も悪くないわな。頼まれるから審判しただけなのにな。他の件も一方の話だけではわからないもんだな。門馬先生の話も聞く機会を与えなくてはならないな。」と言って下さり、最後は笑顔で握手し、「今度はうちの大会に来てよ。」とまで言って頂き、これでようやく道が開けたなと胸を撫で下ろした。

 しかし、その後は・・・ご存知の通りである。大阪以降、大石師範への攻撃は後を絶つ事がなく、益々エスカレートし「除名」にまで発展してしまった。もちろん大石師範にも私にも弁明どころか話し合う機会さえ一度も与えられなかった事は言うまでもない。

 また、協力団体として活動していた3年間の郵便物の宛名は「国際空手道連盟 極真会館 門馬道場 師範 門馬智幸様」だったが、今回の世界大会のチケットが送られてきた封筒の宛名は「代表 門馬智幸様」だけだった。
 
 これら一連の出来事は一体何を意味するのだろう。誰が裏で糸を引いているのだろう。想像だけで書く訳にはいかないから、この辺でこの件に関してのブログは終わりにしたいと思う。やがて明らかになる日がくるのだろうか・・・それとも・・・。

追伸
様々な方のブログで、有難いお言葉を沢山頂いた旨、前回も書きましたが、加えて今回も北海道の石川先生や栃木の鈴木稔先生始め、大石道場のご父兄の皆様、本当に暖かいお言葉有難う御座います。今後とも宜しくお願い致します。
                         
                                  
        
category - 押忍

想い・・・再考

2012/ 11/ 20
                 
 ここ最近、門馬道場のホームページや、私のブログへのアクセス数が一気に上がっている。もちろん原因は例の連合の騒動の件であるのだろうが・・・だから、私がここで何かを書けばまた誰かが反応して騒ぎが大きくなるだろう。

 でも、あるブログで嘘つき呼ばわりされるのではたまったものではないから、真実を明らかにしたいのだが、言った言わないの話になると不毛の論議になるので、携帯にメールでも残っていないかなと、昔のFOMA SH901iSと、F905iを充電してみた。そうしたら平成18年の2月18日の初メールから、加盟し退会するまでのやり取りが百通以上全部残っていた。また、私が付けている日記からも、その方と初めてお会いしたのは平成16年4月25日、総裁の10周忌に前所属道場の師範と小野寺師範、増田師範代、その他数名で伺った時であった事を思い出した。その後、平成17年9月1日、増田師範代と一緒にお会いしてから、それ以降何度かお会いしているが、メール交換する様になったのはこの半年後からである。このメールを読んでいると、当時の様子を懐かしく思い出されるが、今後は時系列で整理し、必要とあらば頂いていたメールをここで公開するか、別の所で真実を証明する必要があるのかもしれない。

 前組織を退会したのは既に4年前である。何故今頃になってこの騒動が起きたのか、大石師範や私を落とし入れているのは誰なのか、誰と誰が結託して今回の騒動を引き起こしたのか、名前は分かっている。小野寺師範が亡くなられて、大石師範が後見人になってくれる筈だったのを妨害するために横やりを入れた方々である。その方々はもちろん私と大石師範をも引き裂こうと画策した。その腐った連中とある人が今年4月、手を結んだようである。敵の敵は味方なのか・・・。

 先日の道場に届いた文書に引き続き、本日、門馬道場の放映をしてくれているテレビ局に「怪文書」が届いたと、局の方から呆れて笑いながらではあったが連絡があった。おそらく掲示板等に毎回ゴチャゴチャ書き込んでいる福島県在住の彼だろうが、ここまで来ると法的手続きを取らざるを得ない。本来、相手にもしたくない奴だが、私も一道場を構えている以上、降りかかる火の粉は払わなければならない。

 しかし、他人を妬み僻んでいても何も始まらないではないか。自分の稽古、自分の道場にもっと力を注ぐべきだと思うが如何だろうか・・・。

追伸
 大石師範始め、柴田師範、長澤師範、北海道高橋師範、そして盟友である奥田師範などなど、各々のブログ等を読んで涙が出ました。嬉しかったです。有難う御座います。審査会後、指導員一同これらの話になり、感謝するとともにより一層結束が固まりました。また色々な成り行きを知っている保護者の方々のお言葉も有難かったです。これからも門馬道場、不当な圧力に負けず頑張って行きますので宜しくお願い致します。


                           つづく・・・
                         
                                  
        
category - 押忍

想い・・・

2012/ 11/ 17
                 
 私は、高校1年の16歳から空手を始め、最初の師は飛田健先生でした。飛田先生には空手はもちろん人としての生き様を教えて頂きました。高校を卒業した18歳の時、どうしても極真に入門したいと飛田先生に話すと、飛田先生は快く許可して下さり、それからの数年間は極真と飛田道場、双方の道場に通い空手に没頭しました。しかし、私が25歳の時に飛田先生は肝臓癌で帰らぬ人になりました。親父を亡くした様な深い悲しみに、泣いて泣いて泣き尽したのを覚えています。
 その深い悲しみから徐々に心は空手から離れ、極真の有名師範や元極真の伝説とさえ言われる方々との合宿参加、道場への出稽古等々、何とか心は空手に繋ぎ止めておきましたが、27歳で独立して今の会社を創設した2年後の29歳の時、忙しさも手伝ってか私の生活から空手はスッポリと抜けました。毎日が仕事に追われ忙しかったけれど、それなりに充実した日々でした。

 大山総裁が御逝去された2年後、34歳の時、悩んだ末に昔の極真の道場に復帰し約8年間、そこの道場のために身を粉にして働いた事は誰も否定はしないと思います。お蔭で私も随分色んな所に同行させて頂き、講習会等を開催させて頂いた経験に関しては、今でも感謝しております。
 当時、私が所属する道場も小野寺道場も「東日本連合」として連合会に所属していた訳ですが、平成16年2月7日、私はそこの道場から独立を認めて頂き、晴れて門馬道場として一本立ちしました。(もちろん、支払った独立認可料の領収書も小野寺師範立会人の誓約書もあります。)ホテルでお披露目のパーティも行い、総裁時代の3人の師範方からオレンジのブレザーも着させて頂きました。
 順風満帆な筈でした。そんなある日、ある理由から私の前所属道場が東日本連合を脱退してしまいました。残っている私も色んな声に随分悩みました。辞めるべきか残るべきか・・・結果、私は残る選択をしました。それは、どうしても人として空手家として、そこに目をつぶったままやり通す訳には行かない様々な想いから決断した事です。
 その判断は今でも正解だったと思います。その後、私は小野寺師範と東日本連合として行動を共にしました。小野寺師範が唯一尊敬する大石代悟師範との交流も盛んになり、加えて独自の活動をしているある派閥の師範方とも大会等を通じて一緒に活動するようになりました。

 しかし、ある事件を境にまたしても事態は急変します。小野寺師範が平成17年5月から14ヶ月間勾留(結果は無罪)されてしまいました。これを機に、連合の師範方や小野寺師範を取り巻く様々な方々が蜘蛛の子を散らすように居なくなりました。小野寺師範の名前はどこにもなくなりました。小野寺道場を乗っ取ろうとする人までいました。平成17年9月、私は小野寺師範のいない不安の中で「第一回全福島空手道選手権」を開催しました。

 平成18年6月、大山智弥子夫人の葬儀で三女の方とお会いし、「昔の支部長はみんな酷い。協力して欲しい。」と言われました。私は、小野寺師範がまだ勾留されているので、小野寺師範と話してから返答すると言う事で、判決が出て帰って来たその年の9月まで待って貰いました。一連の経過を小野寺師範に話すと大反対されましたが、最終的には小野寺師範の「俺の弟子のままという条件なら仕方ないだろう。言いだしたらお前は聞かないからな。」と呆れながらも許して下さいました。そして小野寺師範はそこの組織の相談役となりました。
 ここでも平成21年1月までの約2年と少しの期間、自分なりには精一杯頑張ったと思います。一緒に活動していた鈴木先生や釘嶋師範、その他の仲間もそれは否定しないと思います。でも、これ以上は無理でした。私は自主退会をしました。詳細はここでは書きませんが、機会が来たら明らかになるでしょう。

 「結局駄目だったろう」と、大石師範や小野寺師範に半分呆れられながら笑われ、俺達と一緒にちゃんとした極真空手を普及発展させようと、お二方と話していた矢先の平成21年5月17日、小野寺師範は心筋梗塞で突然逝ってしまいました。25年前にも勝るとも劣らぬ深い悲しみ。亡くなった報告を受けた瞬間から記憶が飛んでありません。次の日、急いで岩手に飛んで行って、最後の日まで居ましたがずっと泣きっぱなしでした。このご葬儀に参列してくれた師範は大石師範だけでした。小野寺師範は亡くなる数週間前にも仰っておりました。「極真で尊敬できる師範は大石師範だけだ。俺は大石師範と一緒に残りの空手人生を全うする。」

 ご葬儀の帰り、大石師範を一関駅までお送りした時、「門馬には私が付いているから安心して極真空手を続けなさい。」と仰って頂きました。身に余る光栄でした。
 この時、私は平成21年4月の昇段審査で小野寺師範に五段位を允許されておりましたが、ある事が原因で少し柄にもなくイジケていたので、昇段状の写真を小野寺師範に何度も催促されていたにも関わらず送りませんでした。ですから小野寺師範の生前には昇段状は頂けませんでした。(後日、奥様から送付されてきました。)

 そんなある日、大石師範と稽古していた時、私が五段の帯をしていなかった事を大石師範に叱られました。「何故、五段の帯を締めない?小野寺には色んな想いがあって門馬に五段を受けさせたのだから、その気持ちをわかってやらなきゃ駄目だぞ。」と言われました。
 その時私は、釈然としない態度だったと思います。そんな私の気持ちを察してか、ある日大石師範から昇段状と五段の帯が送られてきました。もちろんお金など払っていません。私は大石師範の心遣いが嬉しくて涙ながらにお礼の電話をさせて頂き、昇段状の日付を小野寺師範の命日の5月17日にして頂きました。
 
 詳細は書きませんがこれが一連の騒動の経緯です。大石師範が私に五段を勝手に認可した訳ではありません。大石師範の何が間違っているのか、私には理解出来ません。


 私が門馬道場として独立して、既に8年経ちました。しかし、今でもある方々から誹謗中傷を受けています。面白い事に、連合の通達文のコピーが郡山の複数の道場のポストに入っていた様です。妬む側より妬まれる側の方が良いと思いますので、特に気にもしませんが、嘘や作り話で落とし入れられるのはあまり気分の良いものではありません。いずれ、イヤ、近い将来、何らかの形で証明しなければならない時が来るでしょう。

 今は、信ずる正しい道をただひたすら歩くのみ。
                         
                                  
        
category - 押忍

今更ですが・・・

2012/ 11/ 06
                 
 10月13日、須賀川体育協会の行事として、須賀川道場内錬成大会が開かれた。須賀川道場だけの門下生約50名が参加。型と組手の両部門で熱い戦いが繰り広げられた。
 第二回を迎えるこの大会であるが、門馬道場の中で、単体の道場で大会を開催しているのは須賀川道場のみ。やはり、確実にレベルは上がってきている。今後、その実力を外部でも発揮して欲しい。

 当日は、茶帯門下生による演武も行われたが、型も試割りもなかなかのものであった。流石に先輩の貫録を見せ、後に続く後輩への良い刺激になったと思う。

 また、大会終了後、保護者会によるカレーやフランクフルト等も振舞われ、保護者会の結束の固いところも素晴らしかった。夜は・・・例の如く、そのまま呑みに流れました。

 しかし、良い道場になったな・・・。ホント、楽しい一日でした。みなさん御馳走様ね。


 翌週は静岡、翌々週は東京大会と行事が続いていたが・・・書く時間が・・・。

 来週には書きます。乞うご期待。なんちゃって・・・。