FC2ブログ

2009年07月

        
category - 押忍

近況・・・その2 審査会に思う

2009/ 07/ 25
                 
 6月21日には、郡山カルチャーパークアリーナで審査会が行われた。基本、移動、型はもとより、柔軟性や基礎体力、逆立ち歩行等が審査項目にあり、ある一定レベルに達しないと昇級は出来ないが、特になんと言っても極真は自由組手が命である。逆に言えば、昔は他が駄目でも組手さえ強ければ昇級出来る事もあったくらいだ。しかし、最近はこの自由組手がイヤで辞めて行く人も多く、悩みの種でもある。
 
 私が極真に入門した30年近く前は、100%例外なく、稽古中の組手で先輩達に「ボコボコ」にされた。「参りました」を二回言わないと攻撃を止めて貰えなかった。しかし、今は・・・子供や女性、そして壮年の方等が道場生の大半を占めてきた事や、空手を習う目的が多様化している事(昔は空手を習う目的は強くなりたいと言う理由以外聞いた事が無い)もあり、昔みたいに普段の稽古で誰でもかれでも「ボコボコ」には出来ない。従って一般稽古は軽めの限定スパーで終わり、組手は稽古終了後に行ったりしているが、これも全員が居残りする訳ではなく、一般稽古で「いい汗」を掻いて帰る人達も当然いる。すると・・・極真であっても、あまり組手慣れしていない人も出てきたりするが、前述の様に時代が変わり、空手で強くなる目的以外にも習う価値がでてきたと言う事は、それはそれで素晴らしい事ではある。だが、そこは極真・・・どうしても組手を避けられない時がある。それが昇級審査会だ。審査会は「スパーリング」ではなく「自由組手」であるからみんな本気モード、相手によっては当然「ボコボコ」にされる場合もある。組手慣れしていない人はここで脱落・・・辞めて行く人もいる。かと言って、普段の稽古で「ボコボコ」でも当然辞めて行く。これは大人も子供も同じ。じゃあ、普段から「丁度いい按排」に稽古して、審査の組手も「丁度いい按排」にすれば良いのかと言うとそうでもない。人は我儘なもので、平坦な道では退屈で面白みがない。緩やかな上り坂でもいつかマンネリで飽きてしまう。道場生全員に「武道の修行は断崖をよじ登るが如し」の覚悟までは求めないが、最低でも「山あり谷あり」位の試練は必要ではないだろうか・・・その試練を乗り越える度に自分が成長出来るし、それが人生を充実させるコツだとも思うのだが・・・。

 簡単に乗り越えられる壁は試練ではない。決して乗り越えられない壁では夢が見えない。山が有って谷が有るから景色が変わって希望も生まれる。あきらめなければ必ず夢は叶うものだと実感出来る。
 極真空手の道場に入門した目的は確かに様々だろうが、最低でもその試練を乗り越える努力はするべきである。確かに「生きる」と言う事自体が試練であり、日常生活での試練は生活にも係わってくる分深刻であるから、人生において試練はなるべく無いほうがいい。しかし、「生きる」上で必ず直面するであろう様々な試練を乗り越える「強い心と身体」が欲しくて道場に入門したのなら、なかなか日常生活では体験できない試練を自ら進んで積み重ね、「試練への免疫」を作るべきである。道場稽古や昇級審査での試練なんてその時その場で終わるし知れたものである。それでもその繰り返しが修行であるし、その繰り返しが無ければ所詮「強い心と身体」なんてものは手に入らない。
 
 「試練への免疫」・・・それが「根性」であり「あきらめない心」である。それらを求めるのが道場へ入門する目的であるだろうし、そして、それらを身を以って示す事が道場の役割であると思う。習う側も教える側も、よく整理して考えなければならない。真の極真精神を普及発展させるために・・・。
                         
                                  
        
category - 押忍

近況・・・その1

2009/ 07/ 16
                 
 とにかく・・・自宅にいる暇がない。だからブログも書く暇がない・・・と、また言い訳から始まるのだが・・・毎度の如く「師範のブログは全然更新されていない」などと、お叱りを受けるものだから私も必死である。何とかここ一ヶ月分の出来事を順次まとめたいのだが、相変わらず時間がないので、ダイジェスト版にてご勘弁を。

 前回のブログと話は前後するが、先日、白河のチャレンジカップが行われた。この大会は純粋に門馬道場生のみの大会であるが、出場人数は250名を超え、組手と型のダブルエントリーを考慮すると延べ300名を超える。従ってコートは3面で行われたので、全試合は見れなかったが、今回の大会で目立ったのが新人の台頭である。少年型では田代季仁や渡辺智也の優勝、女子組手では井戸沼森奈さんが優勝したが、決してまぐれではない。みんな空手が大好きで、稽古で頑張っている姿を私も見ているが、あきらめずに継続したからこその結果である。そして、今回特筆すべきは壮年組手の部、48歳で最年長ながら準優勝した福田菊夫さん。福田さんは自分の所属道場の他に、矢吹の本部稽古にも毎週顔を出し、決して手を抜かず最後までついてくる努力の人である。色々理由をつけて稽古をしない「自分に甘い」人が沢山いると思うが、こういう精神を是非見習って欲しい。イヤ、その精神が空手道を修行する意義でもあるし、チャレンジカップ等の大会はその一手段である。今年、チャンスがなくて出場できなかった人、臆病で出場しなかった人、自分はそこそこで良いんだと最初から言い訳している人、挑戦する気持ちが微塵もない人・・・来年は思い切って出場してみませんか?きっと、周りの景色が変わると思うし、何より、努力で掴んだ自信によって、自分自身が変わると思うのですが・・・。

 さて、佐藤嘉道先生の講習会が終わった翌日は、福島道場の道場開き。多くの来賓に来て頂き盛大な式典は無事終了した。美味しい酒を呑み、止めは道場向い側の美味しいラーメンを食べる。

 11日には、ホテル日活で静岡県大会の入賞祝賀会と、大阪府立体育館で行われる「全日本少年少女空手道選手権大会」に出場する祐伍の壮行会。100名近い出席者で盛大に行われたが、印象的だったのは、大会にビビっていた祐伍が頑張る気持になった事と、祐伍のおばあちゃんが「こんなに立派な壮行会を開いて貰って、こんなに有難い事はない。もう、いつ死んでもいい。」と感激してくれた事。もちろん死んで貰っては困るが、私も嬉しくなり、みんなで朝方まで呑んだのは言うまでもない。

 次の日、東京でサンボの萩原先生と会う。夕方から東京駅周辺で呑み始めるが、話が弾んで浅草まで行く羽目になり、浅草の街を散策した後は場末のスナックで呑む。なんか、地元の矢吹町と変わらない様な雰囲気の店・・・しかし、店の常連客は有名格闘家がテンコ盛り。そこでも相変わらず話の熱い萩原先生であるが、笑ったのは、ある有名な拳法の先生に突然技をかけられ、ムッとした萩原先生はヘッドロックをかけた話し。ヤバイ・・・殺されるって。
 極真にもいるけど、ろくに稽古もしないで、武術だ武道だと連呼して屁理屈ばかりこねている自称達人の人達、萩原先生に捕まったら最後、マジで殺されます・・・ホント、マジで・・・。

 次の日は、品川駅で映画「地上最強のカラテ」の後藤秀司監督と落ち合い昼食を共にする。後藤監督は30年程前に大山館長と出会い、その魅力に取り憑かれ、何本か映画を撮らさして頂いたそうだが、その際、館長室や色んな場所で様々なお話を聞いたそうである。その中で、大山館長は空手を通して世界に通用する若者を育成したいと仰っていた事から、もし後藤監督が、再度映像を撮る機会があるならば、人間育成を主とした武道教育の側面から空手を撮ってみたいと仰られていた。そして、有難い事に「その側面を持っているのはまさしく門馬道場ですよ。」と、後藤監督から絶賛して頂いている事から、今後、門馬道場を中心とした「空手道(極真空手ではなく、広義の意味の空手道)」の撮影に入る予定である。

 そして次の日、福島に帰って来た私は、休む間もなく「居合い」の先生と久しぶりの稽古。実に刀を振るのは数ヶ月振り・・・不肖の弟子ではあるが、根気よく教えて頂いた。今年頑張って参段の審査を受けるように勧められるが、稽古不足のためお断りしたが、来年は頑張って参段の審査を受けましょうと言われ、再び奮起する。「継続は力なり」・・・空手では偉そうに自分の生徒に言っている事がなかなか出来ていない。
 反省しきりである・・・。

 今週末は夏季合宿・・・それまでに今までの行事をブログに書き終えたいが・・・もう駄目・・・時間がない。今回はここまで。        つづく・・・かも・・・。
                         
                                  
        
category - 押忍

達人 佐藤嘉道先生

2009/ 07/ 01
                 
 6月4・5日、佐藤嘉道先生が、門馬道場に太氣拳の指導に来て下さった。その日は矢吹の本部道場の一般稽古日で、女性や中学生等も普通におり、ちっちゃいおじいちゃん(佐藤先生すみません・・・)が前に出て指導している姿に戸惑ったかもしれない。しかし、指導が始まると、その小さい身体が巧みに蛇の様に動く・・・これが「達人」の動き。過去に私は、佐藤先生とマンツーマンで何度も稽古をつけて頂いているが、基本的に道場生には太氣拳をあまり教えた事がなかった。その理由は二つあり、一つは、太氣拳の基本である立禅や揺、這の段階では、佐藤先生の動きを正確に伝えないと「空手の型」みたいに「伝言ゲーム」で意味のないものになってしまう事を危惧したのと、二つ目は、私自身が取り組んできた立禅から練などの成果が、実際の組手に活きているかを、なかなか実感出来なかった事にある。自分が実感出来ないものを、安易に教えても時間の無駄だと思っていた。

 太氣拳の立禅や揺や這の稽古は、空手の型稽古に似ている。刺激に対し素早く反応し、そしてどんな動きの中でも、常に理想的な身体の形を維持する、つまり形状記憶体になるためだ。ところが、空手の型もそうだが、段々に身体の癖が出てきたり、勝手な解釈をし始めて形が崩れ、鋳型に嵌らなくなる。それでも「型の意義は分解組手にある」などと言い出し、元々体育的に創作された平安の型に、無理矢理分解組手をこじつけたり、挙句の果てに現代の競技空手にその技が使える等と吹聴した暁には、組手稽古もしなくなり、型は上手いが組手は弱い黒帯が誕生する。当然その黒帯の体たらくは少年部にも伝播し、それで試合に出るからコロコロ負ける。
 だから型は無駄だと言いたい訳ではない。型をやるなら、まずは自分の身体を、必要であればいつでも鋳型に嵌める事が出来る身体能力を体得する事。その中で得た、ぶれない軸や重心を、戦いの中で自在に操れる事。そして、その事を実感として組手に活かせている人に型を習う事。全ての型がそうだとは言わないし、古流の型はまた違った身体操作があるのだろうが、少なくとも体育的に作られた「極真の型」を修練するなら、その意識は最低限必要だと思う。

 佐藤先生の太氣拳は、そこの所が明確である。空手の型の様に、組手とかけ離れていないし、一部の方達の様に「気」とか「宇宙」とか怪しい事は言わない。とても実戦的である。しかし、残念ながら佐藤先生のあの技術は簡単には身に付かない。それどころか、佐藤先生曰く、「俺なんか一生かかっても澤井先生みたいにはなれないな・・・」などと言う言葉をお聞きすると益々へこむ・・・。その日も夜7時から10時半まで稽古をつけて頂き、夜中の2時まで武道談義。次の日は、朝から午後1時までマンツーマンで教えて頂き、お昼はソバを食べながら再び武道談義・・・それでも、まだまだ教えて頂きたい事が山ほどある。
 
 本当に「達人」である。