6月4・5日、佐藤嘉道先生が、門馬道場に太氣拳の指導に来て下さった。その日は矢吹の本部道場の一般稽古日で、女性や中学生等も普通におり、ちっちゃいおじいちゃん(佐藤先生すみません・・・)が前に出て指導している姿に戸惑ったかもしれない。しかし、指導が始まると、その小さい身体が巧みに蛇の様に動く・・・これが「達人」の動き。過去に私は、佐藤先生とマンツーマンで何度も稽古をつけて頂いているが、基本的に道場生には太氣拳をあまり教えた事がなかった。その理由は二つあり、一つは、太氣拳の基本である立禅や揺、這の段階では、佐藤先生の動きを正確に伝えないと「空手の型」みたいに「伝言ゲーム」で意味のないものになってしまう事を危惧したのと、二つ目は、私自身が取り組んできた立禅から練などの成果が、実際の組手に活きているかを、なかなか実感出来なかった事にある。自分が実感出来ないものを、安易に教えても時間の無駄だと思っていた。

 太氣拳の立禅や揺や這の稽古は、空手の型稽古に似ている。刺激に対し素早く反応し、そしてどんな動きの中でも、常に理想的な身体の形を維持する、つまり形状記憶体になるためだ。ところが、空手の型もそうだが、段々に身体の癖が出てきたり、勝手な解釈をし始めて形が崩れ、鋳型に嵌らなくなる。それでも「型の意義は分解組手にある」などと言い出し、元々体育的に創作された平安の型に、無理矢理分解組手をこじつけたり、挙句の果てに現代の競技空手にその技が使える等と吹聴した暁には、組手稽古もしなくなり、型は上手いが組手は弱い黒帯が誕生する。当然その黒帯の体たらくは少年部にも伝播し、それで試合に出るからコロコロ負ける。
 だから型は無駄だと言いたい訳ではない。型をやるなら、まずは自分の身体を、必要であればいつでも鋳型に嵌める事が出来る身体能力を体得する事。その中で得た、ぶれない軸や重心を、戦いの中で自在に操れる事。そして、その事を実感として組手に活かせている人に型を習う事。全ての型がそうだとは言わないし、古流の型はまた違った身体操作があるのだろうが、少なくとも体育的に作られた「極真の型」を修練するなら、その意識は最低限必要だと思う。

 佐藤先生の太氣拳は、そこの所が明確である。空手の型の様に、組手とかけ離れていないし、一部の方達の様に「気」とか「宇宙」とか怪しい事は言わない。とても実戦的である。しかし、残念ながら佐藤先生のあの技術は簡単には身に付かない。それどころか、佐藤先生曰く、「俺なんか一生かかっても澤井先生みたいにはなれないな・・・」などと言う言葉をお聞きすると益々へこむ・・・。その日も夜7時から10時半まで稽古をつけて頂き、夜中の2時まで武道談義。次の日は、朝から午後1時までマンツーマンで教えて頂き、お昼はソバを食べながら再び武道談義・・・それでも、まだまだ教えて頂きたい事が山ほどある。
 
 本当に「達人」である。
2009.07.01
 早いもので、小野寺師範が逝ってから丸一ケ月が過ぎた。今でも思い出すと切なくなるが、現実は現実として受け止め、前向きに考えられる様にもなってきた。7月の12日には岩手県花巻市で「小野寺勝美メモリアル 第12回 みちのく銀河杯 岩手県少年少女空手道選手権大会」が開催される。この大会は、小野寺師範にお世話になった方々が自主的に集い、最後まで極真空手に生きた小野寺師範を偲び、かつ、今後の小野寺道場を励ます意味を込めて開かれる。

 残念ながら、生前、散々小野寺師範にお世話になりながらも、亡くなると同時に、待ってましたとばかりに会費納入をストップし、掌を返したように縁を断ち切り、組織を去って行った悲しい輩もいるが、こんな人が極真空手の指導者として、子供達に係わっているのかと思うと怒りさえ覚える。いつも二枚舌を巧みに使いこなしている様な大人が、一体何を道場で教えるのだろう・・・。今回の大会は、この様な可哀想な人に何かを感じて貰える様な、素晴らしい大会にしたいと思う。もちろん「心」のない人に伝わる筈もないだろうが・・・。

 大会では、私も演武をしたいと思う。小野寺師範に教えて頂いた型だ。何十回にも及ぶ極真空手のセミナー・・・岩手で・・・福島で・・・北海道、秋田、宮城・・・そしてつい先日、4月の4・5日には年一回の昇段合宿もあった。まさかあの合宿が最後になろうとは・・・。本当にたくさんの型を教えて頂いた。
 「極真の制定型」の全てはもちろんの事、それ以外にも、ナイハンチ、ジオン、パッサイ、セーシャン、チントー、二十四歩、観空小、五十四歩小、ソーチン、ウンスー、そしてスーパーリンペイ・・・。

 最近は、私もあまりこれらの型をやらなくなってしまったが、今度の大会では精一杯の演武を行いたいと思う。
 小野寺師範、私の一挙手一投足を見ていて下さい。必ず、「よし!トモ、上手い。俺が教えただけの事はある。」と言われる様な型を打ちます。

 恩返しの気持ちを込めて、一所懸命頑張ります。    押忍!
2009.06.18
 「小野寺先生の件で色々大変だったね。」と、昨夜突然、藤原先生から携帯に連絡が入った。ビックリしたがとても嬉しかった。藤原先生とは・・・日本人で初めてムエタイのチャンピオンになった偉大なキックボクサー、藤原敏男先生の事である。藤原先生は三年前の全福島空手道選手権大会に大会顧問としてご来場頂き、その時小野寺師範ともお会いしており、また、藤原先生は出身が岩手県と言うこともあり、小野寺師範の葬儀には弔電を下さった。
 偉大な方ではあるが、とても気さくに接してくれるものだから、こちらが恐縮してしまう。数年前にもブログに書いたが、東京で藤原先生のパーティに呼ばれた時、知り合いが殆どいない私に気を使い、ずっと私の横にいて話をしてくれた。小野寺師範もそうであるが、本当の強さをわかっている人はとても優しい。まさに「男は強くなければ優しくなれない」である。

 小野寺勝美師範・・・師範は竹を割った様な性格で、非常にハッキリしているのだが、小野寺師範を語るには簡単な様で難しい。語り始めれば一晩でも二晩でも話せる位色んなエピソードがあり、徐々にブログでも紹介していきたいが、まだ涙が止まらなくなるので時間をおきたいと思う。その代わりと言ってはなんだが、大石師範のブログに小野寺師範の事が、簡潔かつ明解に書いてあるので引用させて頂きたい。


※19:00頃、突然の訃報が入る。岩手の小野寺師範が、今日の未明に急死(心筋梗塞)したとの事。
 小野寺師範と私は同じ年で、共に大山総裁時代の支部長である。何年か前に私の道場を訪れ、その後、私の自宅でごくありふれた家内の手料理を「美味しい、美味しい」と何度も言いながら食べてくれた。その時の小野寺師範の屈託のない笑顔が私の脳裡に焼き付いて離れない。
 強い個性と一本気な性格で誤解を招くこともあったが、根は大変心の温かい、そして周りに気配りの出来る男であった。そして、何よりも信義を重んじる男であった。筋の通った生き方をする男であった。
 小野寺師範と門馬師範と私の三人で食事会をするのを心から楽しみにしていた。その矢先であった。惜しんでも、惜しんでも、惜しみきれない。
 今は、ただ、ただ、冥福を祈るばかりである。 合掌。 


 波乱万丈・・・小野寺師範の人生はまさにこの言葉が当てはまる。あまりに色んな事が有り過ぎた。周りで見たり係わったりしていた私も、常にハラハラドキドキの連続。耐え兼ねた私は小野寺師範に口答えをし大喧嘩した事もある。また、「トモユキは空手がホントに好きだな・・・」と呆れ顔ながら褒められた事も一杯ある。全てが素晴らしい思い出である。やがて笑って小野寺師範の事を話せる日が来るのだろうか・・・そう思う位、まだ心に穴が空いた様である。

 一昨日は白河でチャレンジカップがあったが、(結果は後日)実はこの大会の前身は「ルーキーズ錬成試合」と呼んでおり、初めて開催したのは私が門馬道場として独立する前で、既に10年近く経つ。この大会は私の地元矢吹町で開催し、小野寺師範が来て下さったのだが、大会が始まり暫く試合を見ていた小野寺師範が突然烈火の如く怒った。新人戦なので社会人はローキック禁止ルールとしたのが気に入らないらしく「ローキック無しでやるなら極真を謳うな。中止だ。」・・・だが、そう言われても試合は始まっているし、今更どうにもならない。私は一所懸命謝り試合続行を懇願し、なんとか無事大会は終了したが・・・小野寺師範は帰り際、「最初に主催した大会にしてはとても立派だった。大したもんだな、お前は・・・。」そう仰って頂き、怒られた後だけにとても嬉しかった記憶が今でも脳裏に焼き付いている。一昨日はそんな事を思い出しながら大会を見ていたものだから、何度も目が潤んで仕方がなかった。

 実は昨日も稽古が終わった後、岩手県大会のパンフレットを見ながら、小野寺師範とよく一緒に行った岩手の花巻温泉を思い出し、センチになっていた。小野寺師範からは、ちょくちょく電話を頂き「トモも水臭いな・・・たまには電話くらい寄越せ。今度岩手の花巻温泉に泊まりに来い。じゃーな」と一方的に切る。そんな事を思い出していた時に時藤原先生から電話が入った訳である。

 藤原先生は「門馬先生も水臭いな・・・東京に来た時は電話くらいくれないと・・・一緒に飲もうよ。」と言って頂いた。何か不思議な感じだった。

 機会があったら、また是非ご一緒に酒を酌み交わし、朝まで小野寺師範の自慢話をしたいと思っている。
2009.06.02
 19日午前8時30分出棺、そして9時30分から火葬である。岩手のこの地域は、通夜の前に火葬を済ませてしまうらしく、通夜ではもうお骨しかない事になる。寂しいが仕方ない・・・いよいよ最後のお別れである。火葬炉の前で、最後にもう一度顔を見た・・・涙が出るし、胸が締め付けられる・・・係員の説明が終わり火葬炉へと棺の台車が滑って行く・・・思わず、「押忍、有り難う御座いました。」と叫んだ。呼応する様に周りからも「押忍」「押忍」押忍」「押忍」・・・の連呼。力が抜けた・・・何かにすがりつきたかった。小野寺師範の顔を見ることはもう無いんだ・・・そう思ったら、深い深い絶望感に襲われた。
 
 小野寺師範・・・何で死んじゃうんですか・・・。また、先に進めません。まだ、前に進めません。
2009.05.25
 平成21年5月17日午前3時頃、極真会館岩手支部長の小野寺勝美師範が、心筋梗塞により永眠された。享年58歳・・・心からご冥福をお祈り致します。

 突然の訃報は、その日会津で行われた、新格闘術五十嵐道場の新人戦の帰りに寄った居酒屋であった。大会の結果詳細は後日ホームページ等で触れるが、数名の優勝者や入賞者がいたので、指導員や保護者そして子供達とで、ささやかな祝勝会を、なんと午後4時から開いていたのである。まだまだ明るい居酒屋の席に落ち着いた時、携帯電話に「小野寺道場」の着信が大分前にあった事に気付いたが、乾杯のタイミングもあり、明日連絡しようと携帯をポケットにしまった。大会の話で盛り上がり酒も程好く入ったころ、今度は「小野寺師範」の表示が私の携帯のディスプレイに・・・。しかし、周りが騒がしいし、お酒も入っている事からまたも携帯をマナーモードでポケットにしまった。言い訳ではないのだが、電話にでなかったのは、小野寺師範からの電話はいつも大変緊張するし、直立不動で話をするため、酔っ払ったまま話せないと思ったからである。
 
 飲み始めて3時間も過ぎた頃の午後7時少し前、菜穂ちゃんからの着信が何回も入っていたのに気付く。それでも「後でいいや」と思ってた時、今度は携帯電話に「大石師範」からの着信が・・・。何か、ただならぬ事が・・・そう感じてやっと電話にでた。「もしもし、大石だけど。小野寺師範が死んだの知ってるか?」「押忍?・・・」「小野寺師範の奥様が、門馬に連絡取れないと焦っていた。すぐ連絡してやりなさい。」「押忍?・・・」・・・意味がわからない・・・涙がこぼれた・・・その後の事は覚えていない。ただ泣き叫び、取り乱す私に、大石師範がずっと何かを言ってくれていた。
 その後、私は殆ど記憶にないが、気が付いたら自宅のベッドで寝ていた。酔っ払ったせいか、頭が凄く痛い。時計は夜中の3時。トイレに行き台所で水を飲みながら小野寺師範の話が本当か夢か、暫く考えていた。わからない・・・その後は寝返りをしながら眠れずにボーッとしていた。
 6時になって起き上がり携帯を開いてみる。アレッ・・・色んな人に電話している・・・色んな人から着信がある・・・。ところどころではあるが記憶が蘇る。とにかく岩手に行かねば・・・。前日には菜穂ちゃんからも岩手へ連れて行って下さいとのメールが何回も入っていたが・・・2日も3日も道場を留守にするのもどうかと考えたり、泊るのだってお金もかかるし葬儀の時だけでいいからと言ったのだが、どうしても岩手へ行きたいと聞かない。そりゃあそうだ・・・菜穂ちゃんや奈美ちゃんも相当可愛いがってもらったもんな・・・道場を全て休みにして菜穂、奈美コンビと3人で18日月曜日、午後一番で岩手へ向かう。
 
 一関インターで菅原卓也師範代が待っていてくれたので案内を受け、小野寺師範の元へ・・・遺影が目に飛び込んできた・・・小野寺師範は・・・既に納棺されている・・・顔を見た・・・私は崩れ落ちた。絞り出すようにやっと「押忍」と発した。涙が止まらなかった・・・こうしてブログを書いてても涙が溢れて先に進めないので、続きは次回にさせて下さい・・・。
2009.05.22